宍戸君は半年もの間、家に帰らず放浪していたメス猫だ。
ある日、ふらっと帰ってきて、同居人の私たちと他の猫に媚を売っていた。
「強い猫なんかやぁ?」
「うん、野生を生き抜いてきた猫ってとこかな?」
私たちは勝手な想像をしながら、尻尾をピンと立てて甘える宍戸君の背中を撫ぜてやった。
そんな彼女が死んだ。
しかも、それは異様な死に様だった。
彼女はその亡骸を、背骨とあばら骨を露わにしながら横たえていたのだ。
「食われた?」と、咄嗟に思いつく死に様だった。
「イタチかテンかやぁ?」
「うん、でもここで食べられたんなら気が付くと思うけど・・・」
そりゃそうだ。彼女が死んでいたのはコタツの隅だったのだ。
しかし、我が家では猫道がいつでも開いている。野生のイタチやテンなどは入ろうと思えば何時でも入れる環境にある。
私たちは野生動物の仕業だと考え、彼女を葬ってやった。
つい先日、コダルマが死んだ。
彼女?彼?・・・の命は小さくて短いものだった。
生まれた時から育ちが悪く、弱々しく生きてきた猫だった。
そんなコダルマでも、天寿をまっとうしてくれれば・・・と、同居していた。
そんなコダルマが死んだ。
それは夜だったので、明日にでも葬ってやろうとタオルに包んで猫布団の上に置いてやった。
次の朝、私たちは目を疑う光景を目の当たりにした。
死んだコダルマを、若い猫・・マイ1、2、3、のどれか・・が食っていたのだ。
私たちが気付いた時には、もう半分食われていた。
「うそ・・・!」
「マジかよ・・・!」
「じゃ、宍戸君も?」
「・・・かもな・・・」
野生に無駄は無いという。
命あるものはそれをまっとうし、死んでは次世代の糧になるという。
正にそのものだった。
野生は家の外にあったのではなく、猫の内にあったのだ。

(>_<)
合掌。
合掌。